相手の選手が三塁ベースを蹴り、ホーム目掛けて全速力で向かってきた。 俺のミットがセンターから戻ってきた球を受け取り、ランナーに向き合うのと相手が飛びこんできたのはほぼ同時だった。 「アウト!!」 頭上で審判の声を聞き、立ち上がろうとしたが足に激痛が走り立ち上がる事が出来ない。 「渋谷?」 俺の様子がおかしいと気づいた村田が駆け寄ってくる。 「渋谷っ!誰か救急車呼んで!」 「ここが綺麗に折れてるね」 レントゲンを撮り終わり、診察室で自分の足の写真を見せられた。すねの部分が綺麗に白く映り、真ん中が斜めに折れている。 これでしばらく野球はお預けだ。けどしばらくってどの位?まさか怪我が治ってもあなたはもう野球が出来ない体なんですなんてドラマとかみたいに宣告されたりしないよな。 「大丈夫。綺麗に折れてるし、真っ直ぐ骨がくっついたら、また野球ができるようになるよ」 まるで俺が思っていることがわかっていたかのように、先生がにこやかに話してくれる。 「本当、先生」 「リハビリは少し必要になるけど」 はぁ〜俺は胸を撫で下ろした。 野球がまた出来ると聞いて安心した俺は、診察室に入ってから初めて先生を凝視した。短い茶色の髪に整った顔。瞳も茶色で、光が反射してるのかな?銀を散りばめたように光っている。爽やかな人好きしそうな好青年。日本の病院に外国人の先生がいることに少し驚いた。 けどなんで野球って解ったんだろう。 先生は俺の服を指差す。 「ユニフォーム。草野球チームの?」 不思議そうにしていたからなのか、先生から疑問を解消してくれた。 「地元のチームなんだけどね。キャッチャーなんだ」 「じゃ、早く治るようにお手伝いさせてもらうよ。コンラート・ウェラーだ。よろしく」 爽やかな笑顔で返されて、なんだかこの先生なら安心できるなと俺も笑顔で返した。 足に傷は残したくないとお袋が強く希望し、昔ながらのギブスで固定する方法をとったため暫くは入院する事になり、お袋は入院手続きをした後、俺の容態を先生に聞いたらしい。 「ゆーちゃん、先生の言うことちゃんと聞いていい子にしてるのよ」 どこの小学生だよ………俺はもう高校生です。 「けど担当の先生、素敵ね〜どこかの国の王子様みたいだわ。ママ毎日来ちゃおう」 「やめてくれ」 「ふん。うさんくさい外人だ」 「そんな言い方やめろよ、勝利。凄い良い先生じゃん」 「もしもヤブ医者が担当で可愛いゆーちゃんに何かあったらどうするんだ!!よし、お兄ちゃんが毎晩一緒に泊まってあげるぞ。明後日から海外留学だが、可愛いゆーちゃんのためだ。中止にする」 「帰れ」 他の人に迷惑だからと部屋から追い出す。あまり美味しくない夕飯を食べた後、疲れがでてきたのか、眠くなってきた。なんだか頭もボーっとしてくる。誰かが俺の名前を呼んでカーテンの仕切りを開けて中に入ってきた。 「大丈夫?具合はどうかな」 おでこに大きな手が置かれる。 「熱があるね。これ飲んで」 「コンラート?コンラッド?先生?」 俺は先生に上半身を起こされて、薬を渡される。 「コンラッドでいいよ。骨折した日に熱がでることがよくあるから。どこか痛い所はない?」 水を手渡してくれながらベッドの横の椅子に腰掛ける。 俺はコクンと頷いて、薬を飲み込んだ。コンラッド先生は俺から水をとるとサイドテーブルに置いて、俺を起こした時、背にしてくれた枕をズラして俺が横になりやすいよう手助けしてくれた。 「ありがとう、先生」 「今日は大変だったから疲れただろう。何かあったらすぐ呼ぶんだよ。おやすみ」 「おやすみ」 にこっと笑ってコンラッド先生は部屋から出て行った。薬のお陰か、俺は朝までぐっすりと眠りについた。 「おはよう」 爽やかな声に目が覚める。 「ん、おはよう」 半分寝ぼけながら。もぞもぞ起き上がるとおでこに手のひらを当てられた。 「熱は引いたみたいだね。一応体温を計って」 体温計を渡され、俺は体温を計った。その間コンラッド先生は横で座っている。 昨日の夜顔を出して今朝もなら、夜勤だったのだろうか。とても夜勤明けとは思えない爽やかさ。 「37度分。まだ少し微熱だね。薬、飲んでおこう」 薬と水を手渡されそれを飲む。 看護婦さんが先生を呼ぶ声がして、「またね」と行ってしまった。 面会時間になると村田が退屈しのぎにとPSPや雑誌を持ってきてくれた。しかし村田が帰ってちょっとだというのにもう退屈になる。面会時間も過ぎて夕食も終わり、すでに消灯時間は過ぎてしまった。もともとインドアよりアウトドア。映画鑑賞より野球鑑賞の運動小僧に1日身動きが取れずベッドの上での拘束は拷問に近い。用を足したくなったらナースコールを押してね、と看護婦さんに言われていたが、とんでもない。俺はまだ痛む足を引きずって自力で用を済ませていた。 トイレからでて部屋へ戻ろうとすると「渋谷有利くん?」と声をかけられた。 「あっ、先生」 俺を見つけて小走りに駆けてくる。 「駄目じゃないか、大人しくしてないと」 「ちょっと生理現象が」 帰るところなんだろうか。ベージュのズボンに白のシャツにグレーのジャケットを羽織っている。白衣も格好いいけど私服も格好いい。と言うかイケメンは何を着ても似合うのだ。感心していたらフワッと体が浮いた。 「うわっ、ちょっと下ろして、先生!」 「ダメだ。足が動かなくなって野球出来なくなっていいの?」 その言葉で俺は暴れるのを止めた。 「首に手を回して、渋谷有利くん」 俺は言われた通りに先生の首に手を回す。 「先生、渋谷有利ってフルネームで呼ぶの止めてくんない。なんかその後、原宿不 利って続けられそう」 クスッと耳元で笑われてくすぐったい。 「ならなんて呼べばいいかな」 「有利でいいよ」 「じゃ、俺もコンラッドでいいよ」 「なんか目上の人にそれはいいづらいかも」 「なら渋谷有利原宿不利って呼ぼう」 「って、名前増えてるじゃん!!わかったよ。コンラッド」 「はい、到着。有利」 コンラッドに名前を呼ばれてドキッとしてしまった。自分から呼べと言ったくせに。 「ありがとうございます」 「どういたしまして」 足の位置を変えてくれ、布団をかけてくれる。 「もう帰りなの?」 「そう。家に帰るの3日振りだよ」 「忙しいんだね」 「いろんな患者さんが来るからね。帰りそびれちゃうんだ」 直してくれた布団をポンポンと安心させるかのように叩く。 「沢山友達が来てたね。これも置いていったの?」 コンラッドが手に取った雑誌を慌てて奪い返そうと体を捻った。 「だぁっっ!コレはクラスの奴が勝手に持ってただけで俺が頼んだんじゃないからっっ」 「まぁまぁ。お母さんには内緒にしておくよ」 「違う〜〜」 しーっと唇に人差し指をあてられ、俺は口を閉じた。コンラッドはクスクスと笑っている。 「わかったよ。友達が持ってきたんだね」 「欲しいならやるよ」 今度は声を抑えてふてくされ気味に答える。 「俺は遠慮しとくよ」 セクシーな水着を着た女性が表紙の雑誌をサイドテーブルの引き出しにしまう。そして何冊かテーブルに乗っている雑誌の一冊を手に取った。 「後は全部野球の本。有利は本当に野球が好きなんだ」 「もちろん。すっげー好き。コンラッドは好きなチームあるの」 「俺はボストンのレッドソックスかな。と言ってもあまり野球は詳しくないんだけど」 「本当!俺も好きだよ。けど日本のチームで西武ライオンズが一番好きなんだ」 俺は野球の話となるとつい興奮して話し続けてしまう。しまいには相手が呆れて「もういいから」と拒否されるのだが、コンラッドは頷きながら俺の話を聞いてくれていた。 「じゃ、足が治ったら試合を一緒に見に行こう」 「マジ。凄い楽しみ。絶対行こうな」 「約束」 コンラッドが小指を出してきて、俺は笑いながら指切りをした。 「もう遅いから寝ないとダメだよ」 コンラッドが頭をポンポンと叩く。時計を見ると12時を回っていた。 「ごめん、コンラッド!俺ばかりしゃべってて、折角休みが取れたって言うのに」 「家に帰っても一人で退屈してたところだし、有利と一緒にいれて楽しかったよ」 微笑まれて、またドキッとする。 「じゃ、また話聞いてな」 「ああ、お休み、有利」 「お休みコンラッド」 コンラッドは静かに病室から出て行った。 大好きな野球の話が存分に出来たからなのか俺は興奮してなかなか寝付けなかった。それに話をずっと聞いてくれていたコンラッドの顔が頭から離れなかった。自分の周りに今までいなかったタイプだ。だからこんなに気になるんだろうか? 入院三日目。流石に風呂に入りたい。病院にも風呂はあるけど一人ではまだ入れないし、かといって家に戻って風呂に入るお許しも来なかった。恥ずかしいが看護婦さんが体を拭いてくれるのを甘んじて受けるしかない。 「こんにちは渋谷君。体調は平気?」 まさに白衣の天使。 「はい、おかげさまで」 タオルを固く絞ってまずは腕から拭いてもらう。 「渋谷君、担当の先生、コンラート先生でしょ。すごくラッキーなんだよ」 「そうなんですか?」 「物凄く腕が良くて、各地から患者さんが来るの。普段は骨折位じゃ担当になってくれないんだよ」 「そうなんだ」 「海外からも引き抜きの話が来てるぐらいだし、成功した手術は数知れず。お医者さんの中でも憧れてる人多いのよ」 気軽に話してたけどなんか凄い人なんだな。 「でも全然鼻にかけてなくて、老若男女にも大人気で」 「格好いいしね。イテッ!!」 バシッと背中を叩かれた。 「いやーん、そうなのよね。性格も良いし。渋谷君のこと先生気に入ってるみたいだし、先生がどんなに子タイプなのかとか聞いてみて」 「はぁ…」 医者からの羨望の的だけじゃなく、看護婦さんの憧れな訳ね。なんか白衣の天使が色褪せてきた。 「はい、おしまい」 それでも看護婦さんは俺の手の届かない所は全て綺麗に拭いてくれてお仕事は全うしてくれた。 「ありがとうございます」 「じゃ、よろしくね」 にっこり笑うと出て行った。何がよろしく何だろう。 上着を着て横になる。今日は休みと言っていたから、会えないだろう。 「つまんない」 つい呟いてしまっていた。 「暇そうだね渋谷」 しきりの隙間からひょこと村田が顔を覗かせる。 「すげぇ暇だよ。全然自由ないし、動けないしさぁ」 「まぁまぁ普段から動き回ってるんだしたまにはゆっくり休まないとそれにもしかしたら」 「もしかしたら?」 「白衣の天使と恋が芽生えちゃうかもよ」 「ありえない、大体、高校生なんて相手にしないよ」 「わかんないよ〜先生と恋に落ちるかも知れないし」 先生と言われてコンラッドの顔が浮かんだ。 「担当医、男だよ…」 「ああ、この病院で男前度&腕前NO.1のコンラート・ウェラー先生ね。患者さんか らも大人気で爽やか笑顔だよね〜」 「知ってんの?」 「ちょっと見かけたよ。男前で爽やか〜なんてどっかで裏がありそうだけどさ」 「裏がありそうなのはお前だろ。大体どこで情報集めてんだよ」 「さっき看護婦さんとお話してらた話題にね」 「…看護婦ナンパしてんなよ」 「なーに言ってるんだよ出会いのチャンスはいつどこで起こるかわからないんだから」 「へーへー」 村田が来てくれたおかげで少し退屈しのぎにはなったけど、帰ってしまった後、またも退屈で仕方なかった。 入院4日目、朝から退屈。いつもやってる走り込みもやってないから体が鈍る。 「おはよう有利」 「おはよう、コンラッド」 仕切りからコンラッドが入ってくる。1日会えなかっただけなのに凄く嬉しい。 「退屈そうだね」 「すごい退屈」 「じゃ、良い報告があるよ。明日退院出来るよ」 「マジ!やったっ」 「ご両親に連絡して、どちらかでいいから来てもらってね。退院後のリハビリにも通ってもらわないと行けないから相談しないと」 「そっかリハビリがあるんだよな。じゃ早速電話する」 俺がベッドから降りようとするとコンラッドが手を貸してくれた。 「電話のとこまで抱いていこうか?」 面白そうに笑っている。 「いい!お姫様抱っこは勘弁。自分出歩くのがまずは第一のリハビリだろ」 「そうだね。でも付き添いはしようかな」 渡り廊下の公衆電話まで付いて来てもらい、自宅へ電話をかける。この時間ならお袋がいるはずだ。案の定お袋が電話に出る。 「あっ、俺。明日退院出来るって。え?マジで?兎に角手続きが必要だからさ。うんじゃ」 俺は静かに受話器を置いた。 「1時間後にくるって」 「もめてたみたいだけど、何かあったの?」 「うーん。親父が急に海外出張になっちゃってお袋も同伴で行かないといけないんだって…勝利はいま短期留学しちゃっててさ。それでお袋が海外行かないとかいいだしてね」 「それは…大変だね」 「俺はこんなだし、学校に行かないとだから日本に残るけど」 正直この足で独りきりというのは不安だった。 「ねぇ有利。良かったら、その間、家にこないかい?」 「え?」 驚いてコンラッドを見つめる。 「俺の家なら病院からも学校からもそんなに離れていないし部屋は余ってるから寝るところぐらいは提供できるよ。もちろん有利が嫌じゃなければ、だけど」 嫌どころか願ってもない申し出だ。 「俺としてはめちゃくちゃ嬉しい申し出なんだけどやっぱ勝手には決められないから親父達に聞いて見るよ」 「そうだね。取りあえず病室に戻ろう」 帰りも手助けしてもらいベッドへ戻る。一時間後、両親がやって来る。そこにコンラッドが入って来た。 「こんにちは。有利君の担当医のウェラーです」 コンラッドを見た親父が急に大声を出した。 「コンラッド?コンラッドか!」 「勝馬?」 俺とお袋は顔を見合わせた。二人は握手しあい久々の再開を楽しんでいるようにしか見えなかった。 「そうか、有利は勝馬の子か」 「コンラッドはいつ日本へ?」 「1年前だよ」 「もぉ、馬くん説明してよ」 お袋が親父の袖を引っ張る。 「コンラッドは俺が海外出張してた時、俺の担当医だったんだ」 「交通事故にあって、俺の当時いた病院に運ばれてきたんだ。俺が日本語が出来るからって担当を任されてね。意気投合したのさ」 親父も頷いている。 「いやーすごい偶然だな」 「本当に。しかも今度は勝馬の息子の担当だなんて」 コンラッドは俺を見て微笑んだ。 「それなら話は早いな。明日有利は退院出来るんだか、勝馬は奥さんと海外出張なんだろ」 「そうなの。でもゆーちゃんがこんな状態で行けるわけないわ。しょーちゃんまで海外留学中だし」 「なぁ勝馬、出張が終わるまで有利の面倒を俺が見るよ」 二人は驚いた顔をする。 「俺の家から有利の学校も病院も近いし何かあったらすぐ見てあげられる」 親父とお袋は顔を見合わせた。 「そうだな。コンラッドに任せれば安心だな」 「馬ちゃん!でも、やっぱり迷惑よ。私は残るわ」 「けど奥さん、あっちは同伴で行かないといけないところが多いんだよ」 「部下とか同僚連れて行ってワイフの代わりしてもらえばいいじゃない」 こんなところで喧嘩に発展されても困る。俺が口を挟もうとするとコンラッドがお袋に話しかけた。 「美しい妻を自慢するのも、勝馬の仕事のうちに入っているんですよ。海外では妻同伴は当たり前だし、こんなに美しい方が一緒なら勝馬の株が上がる」 コンラッドに微笑まれてお袋は赤くなった。凄い!俺には絶対に言えない高等技術だ。 「なっ、奥さん、コンラッドもそう言ってることだし、ゆーちゃんのことは任せとけば大 丈夫」 「ええ、責任をもってお世話します。もしも有利に何かあったら、それこそ責任をとら せてもらいます」 うっとりコンラッドを見ていたお袋が俺に向き直った。 「ゆーちゃん、ママがいなくても大丈夫?寂しくなったらママ、すぐに帰ってくるから」 「全然、大丈夫です。コンラッドもいるし、安心して行ってきてよ。二人が帰って来るときには歩いて出迎えられるようにするからさ」 「よし決まり」 そして俺はコンラッドの家に居候させてもらうことになった。 続いてます2006/6/16
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