プロ野球と甲子園の季節がやってきた。
出来る限り球場で生の試合をみたいけどそれが無理なのは判ってる。
プロ野球ならホームグラウンドの西武までなら行けるけど甲子園となるとちょっと無理だ。しかし西武球場に通うのだって軍資金が必要である。
そこで俺は今年もまた夏休みのアルバイトをすることにした。
親友の村田が
『高収入で肉体労働も程々で』
というアルバイトを探してきたというのでこれから面接に向かうところだ。
場所は池袋。
埼玉の俺の家からなら十分通勤可能だし、交通費も出るらしい。
「えーと、あったよ。このビルの中だ」
見たところお店が入っているような感じではない。
「なぁ本当にここ?そういえば何のバイトだったんだっけ」
「ウェイターだよ」
「と言うことは喫茶店?」
「そんなとこかな」
エレベーターを上がるとこじゃれた扉が見える。白木のドアで腰辺りからガラスになっていてレースの付いたカーテンがついていた。
「あっレストランぽい」
中に入ると来訪を知らせる小さな鐘がなった。
正装をした俺達と同じ位の年の男が中に通してくれる。店内は白を基調としていてテーブルクロスやカーテンにもレースが使われ可愛らしい感じだ。
奥の部屋に通され待つこと数分。
「お待たせしました」
と女性が入ってきた。これからいろいろ質問されると思うとちょっと緊張してきた。
「そんなに緊張しないでね。2人共同じ年ね。学校は違うんだ。どうしてバイトしようと思ったの」
「俺、えー僕は野球が好きでして、そのチケットとか交通費とかが必要なんで」
「僕も同じ様な感じですね」
本当か?村田。初耳だぞ。なら今年は青のユニホーム買って応援だかんな。
「接客の経験は?」
「昨年2人でペンションでアルバイトをしていたので大丈夫だと思いますよ。渋谷君は宿泊客に人気もありましたし」
にこっと村田は面接官に微笑んだ。
「ご存じだと思うけどここはお客様に満足いただいて気持ち良く帰ってもらう場所なの。だから接客はとっても大事。これがマニュアル。明日から来れるかしら?」
「あっはい、お願いします」
どうやら合格の様だ。
「判らない事があれば同じバイトの佐藤君に聞いてね。それじゃあ、明日は初日だし一時間ぐらい前に来て頂戴」
近くのカフェに入りもらったマニュアルを眺める。分厚い。100ページはある。
「なぁこれちょっと変じゃないか?村田」
「何が」
「だって客が入って来たら『おかえりなさいませ、お嬢様』って言うんだぜ」
「本当だ」
「しかも何これ。お客様がテーブルにいるときは常に一歩後ろに立ち微笑むこと…そしてお客は必ず『お嬢様』と呼ぶ。これって、もしかしてメイド喫茶!?」
「だね」
「だね、じゃねーだろ!!」
聞いてないぞそんなのっっ。
「俺、メイド服なんて着ないぞっ」
俺は勢い余って立ち上がった。
「まぁまぁ落ち着けよ渋谷、皆が見てるよ」
冷たい視線を感じ俺はまた椅子に座る。
「誰もメイド服着ろなんて言ってないだろ。それは女の子が着て萌〜ってなるもんなんだから。ほらここ」
村田はマニュアルの始めごろのページを指差した。
「制服は黒の上下にタイ、もしくは燕尾服でっ書いてある」
「本当だ」
っことはもしかして…
「この店ってもしかして、メイド喫茶の逆で女の子仕様な訳」
「ご名答」
ご名答じゃないだろ――!バタンと俺はテーブルに突っ伏した。
「やめる。聞いてねーもん。こんな内容」
「ふーん。別に嫌ならいいけど。短期間で稼げていいバイトだと思ったんだけど。渋谷がやってもみないで辞めちゃうとは思わなかったけどね」
ぐっ。
「だってお嬢様とか言っちゃうんだぜ」
「減るもんじゃなし」
少なからず村田の台詞にカルチャーショックを受ける。村田ってこんなに柔らか頭だったっけ?
「それにね」
小さな声で村田は俺の方に顔を近付けてくる。
「渋谷に役に立つよ」
「役に立つ?」
俺はテーブルから顔をあげる。
「そう。ちゃんとしたご令嬢なんかのお相手の仕方やリードの仕方が身につく」
「そんなの出来なくても」
「高校生の渋谷有利だったらいいけど、第27代魔王のユーリ陛下だったら、ちゃんとした女性のリードが出来ないと駄目だよ。ある程度、女性を楽しませる会話やリードの仕方ぐらい知っておかないと。魔族3兄弟はちゃんと女性の扱い方判ってるだろ」
そうだけどあの3人は生まれた時から王子様なんだぞ。しかも美形だ。女の子の扱いなんて出来て当然だろう。
しかし、村田の言う事も一理あるかも知れない。国の頂点に立つ人間が礼儀作法、おもてなしが出来ないとあっては家臣まで笑われてしまう。
うー.....俺は唸って覚悟を決めた。
「さすが陛下」
またも村田にハメられた感は拭えないのだが。
翌日、一時間前に村田とバイト先に入りコスプレ、いやいや、制服に着替える。取りあえずは黒の上下にタイでちょっとした正装と言った感じ。昨日の晩マニュアルを読んで応対方法は何とか頭に叩きこんだ。試験勉強なみだ。
「眠そうだね、渋谷」
「村田は快調そうだな」
「良く眠れたからねぇ」
こいつってやっぱり大物だ。伊達に大賢者様はやってないと感心する。
この店は予約制でお客さんの時間が決まっている。お客さんにはウェイターのリストを見てもらい、指名をしてもらう。次回から指名が予約で入るなら、プラスお駄賃がつくシステムだ。最低限な説明は元々ここでバイトしている先輩に教えてもらい、とうとう開店時間がやってきた。
カランとドアの鐘がなるとウェイターは一斉に頭を下げた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
すごい世界だ。初仕事。まずは俺が水を運ぶ。えっとなんて言うんだっけ?
「おかえりなさいませ、お嬢様」
第一段階クリア。そしてリストを差し出す。
「あら、貴方新しい執事さん?」
ひつじさん?ひつじさんの知り合いはTぞうぐらいです。
「あっ、はい」
「ふーん」
お客さんは値踏みする様に上から下まで俺を見た後、「今日はハヤト呼んで頂戴」とリストを返して来た。
「かしこまりました」
指名者を呼びに行き、奥へと引っ込む。
「渋谷、ちゃんと出来てたじゃない」
「すっごい緊張する。けどなんかムカつくぞ。人の事ジロジロ見てっ」
「仕方ないよ。お仕事なんだから気にしない、気にしない」
取り合えず初日は指名されずに終了。客層は大体高校生以上が多い様だがその話している内容のほとんどが俺には理解出来なかった。
2日目も無事終了。
このままバイト中、指名なしで終わってくれれば良いのだが世の中そう上手くはいかなかった。
3日目、ついに指名がやってきた。
「ユーリ君、ご指名。一緒にケン君も」
「うわぁついにやってきちゃったよ、どうする!?」
「普通に喋ってれば大丈夫だよ、あぁでも野球の話はしちゃ駄目だよ」
「じゃ、どうすんだよ」
「にこにこ笑って、その子の良いとこ見つけて褒めてあげて」
褒めるって言っても…
待っていたのは俺の2倍はありそうな体型の女の子二人組だった。
お約束の台詞を言ってメニューを渡す。
「私達三回目なの二人は新人さん?」
「はい、至らぬところもありますが本日お二人のお世話をさせていただきます、ケンと…」
「ユーリです」
俺達は手を胸辺りで水平にし頭を下げた。
「今日のお勧めは何かなぁ」
「そうですね。こちらなど如何でしょう。そんなにお腹が空いていないならこちらのケーキセットがお勧めです」
「えーどうしよう。折角だから両方にしよう」
そんなに食べるの!?横でツンツンと村田がメニューでつついてきた。うっ、何か言わなくちゃ。
「えっと、何処でその服は買って来るんですか?」
「こういう服の専門店があるの。変かなぁ」
正直言うと変である。しかしそんなことは口が裂けても言えない。俺が言葉につまっていると村田が助け船をだしてくれた。
「まるでお嬢様の為にあつらえたかの様に良く似合っていらっしゃいますよ」
「ありがとう〜」
女の子は嬉しそうに顔を赤らめた。すごいぞ村田。尊敬に値する。
お客がウェイターを指名して側にいる時間は一時間と決まっている。人気のあるウェイターさんはそれこそでずっぱりだ。
俺はその人達の歯の浮く様な台詞とテクニックを片っ端から覚えていく。
何故だか初めて指名をしてくれたちょっとばかり太めな女の子は来店の度、俺を指名していった。そしてとうとう最終日。
「やったよ俺、ちゃんと演じきったよ」
貰いたての給料袋の中身を数えてニンマリしてしまう。俺とは反対に隣りの村田が神妙な顔をしている。
「どうしたんだ、枚数少なかったのか?」
「なーんか嫌な予感するんだよね」
「何言ってんだよ、無事終わっただろ」
「家にちゃんと帰るまでが遠足って言うだろ」
「つーか遠足じゃないだろっッ」
エレベーターを下りて外に出た途端に「ユーリくんっ」と呼び止められた。
「あ〜やっぱり」
村田が点を仰ぐ。やっぱりって何が?
俺を呼び止めたのはいつも俺を指名してくれていた太めの子だった。
「えっと、いつも指名してくれてたミミさんだよね。どうしたの」
「ユーリくんが今日でバイト終わりって聞いて」
「そうなんだよ。これでやっと野球に専念出来るよ〜」
「私、ユーリくんと話してるの楽しくて、今日で終わりなんて、私に何にも言ってくれないなんて酷いわ」
?何で言う必要があるんだ??俺は村田を振り返った。
村田は両手をあげて僕知ーらないのポーズをとっている。
「あの…」
今日もレースが必要以上ついている服がヒラヒラと揺れている。ついそれが気になってそのレースに視線がいってしまう。
「ユーリ君、私の専属になって下さい」
「…はい?」
何を言われたの咄嗟に理解出来なかった。
「誰が?何に?」
「ユーリ君みたいな理想の執事さん他にはいません。ずっと私の執事さんになって下さい」
「……」
俺は村田を見つめた。村田は声を押し殺し腹を抱えて笑っていた。
夢にまで見た、女の子からの告白は何か想像していたのとちょっと違ってた。むしろ悲しい。
「あの気持ちは嬉しいんだけど(嫌、嬉しくはないが)俺、あんまり執事さん向いてないと思うし」
「そんなことない、ユーリ君は執事の中の執事よ」
ベストオブ執事さんにはなりたくない。この子を傷付けないで判ってもらうのって何と言えばいいのだろう。
「ねぇ、ミミさんだったよね。実は渋谷は既に決まった相手がいるんだよ」
村田復活。困った時の大賢者様!けどちょっとまだ涙の跡が残っていた。
「そんな!嘘。彼は私の執事さんになるために私と出会った運命の人よ」
「残念ながら、渋谷にはずっと前に出会っている、超我儘な美形の人がいつも側にいてね。その人は渋谷を必要としているんだ。その人だけじゃなくて沢山の人が、君以上に渋谷を必要としている」
「そうなの?」
うっ、それがタイプの女の子でなくても男は女の子の涙には弱いものだ。
しかし、ここで情に流されてしまっては、ドラえもんに会う前ののび太くんになってしまう。
「きっと君には僕よりも君に尽してくれる素晴らしい執事さんに出会えるよ」
これが正しい解答なのかは疑問だが出来る限りの思考能力を総動員させて、言葉にした。
「もう他の人の専属の執事さんなのね」
ちがーーうと心の中では絶叫し、俺は頷いた。
彼女は瞳を潤わせて、何度も頷くと、その場から立ち去ってくれた。
くるっ。村田の方へ向きを変える。
「むーらーたぁ。誰が誰の執事だって?」
「僕そんなこと言ってないよ」
「超我儘な人ってヴォルフの事だろ!」
「そうともとれるね」
「はぁ〜俺、彼女の中ではベストオブ執事さんだよ」
「もう会う事もないだろし、いいんじゃない。それとも彼女とお付き合いしたかったの」
俺はブンブン、力の限り首を横に振った
「ならいいじゃん。それに、君が必要とされているのは本当の事だろ。さっ、折角バイト料入ったんだし、何か美味しいものでも食べよう」
村田はさっさと歩き出す。俺は慌ててその後を追った。
こんなそんなで俺のアルバイトはやっと終了したのだ。
とここで終わってしまっては折角の修行の成果(?)が台無しだ。
そして舞台は眞魔国に移動する。
新魔国へ
2006/6/13 ブラウザを閉じてください。
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