7月29日。
この日は俺、渋谷有利の誕生日である。
夏休みに突入してしまってるから、学校の友達に教室で『おめでとう』と言われる事もないし、まして女の子から誕生日に便乗して、『誕生日おめでとう。好きです』なんて生まれてこのかた言われたことすらない。
「はぁ」
「何、渋谷、溜め息なんてついちゃって。練習疲れたの」
「俺、今日誕生日なのにさぁ、いつもと変わらず野球の練習して、汗かいて、銭湯入ってるし。しかも村田と」
「ちょっと、最後の一言聞きずてならないね」
腰に手をまわして仁王立ちしようとした村田に「見せるな」とタオルを投げ付けた。
ちぇーなどと舌打ちし、俺が投げたタオルを絞って、
「湯船にタオルは入れちゃだめだろ」
と返して来る。
「そーだね、せっかくの誕生日なんだし、ゴージャスに祝ってみようか」
「何?誕生日会でもしてくれるの」
「そっ、とびっきりゴージャスな」
村田が満面の笑みでニコッと笑ったと同時に、2人の間からボコっと泡が立つ。
「お、俺じゃないぞ!!」
と無実を訴えていたら次々と泡が立ち始め、見る見るうちにその中心が渦を巻き、その流れに俺達は呑まれていった。
「ブファ!」
水面に顔をあげるとそこは見た事のない大理石の大浴場だった。
「ここ、何処だ」俺は辺りをきょろきょろ見回す。
「ゲホっ、水飲んだ」
村田も無事到着したようだ。
血盟城の魔王専用風呂よりは小振りだが、大理石がふんだんに使われ、黒を基調とした落ち着いた感じの浴場だった。
「あれ、渋谷はここ、初めてだっけ」
さっきまで隣りでむせていた友人はいつの間にか湯から上がり、バスローブを羽織っている。そして俺にタオルを手渡した。
「ここって…」
「眞王廟の浴室だよ」
感心しながら辺りを見回していると入り口のあたりからウルリーケの声が聞こえた。
「おかえりなさいませ、陛下、猊下」
「ありがとう。準備は出来てるかな」
「はい」
「渋谷、部屋に着替えがあるからそれに着替えて血盟城に行こう」
バスローブを羽織り、場所を移動する。ここも入った事のない部屋だ。
「渋谷の服、そこにかけてあるだろ」
かけてあるだろと言われても、辺り一面服だらけでどれを選んで良いのかがわからない。ブルーのシャツに目がいき、それを取り出し、袖をとおそうとすると村田にシャツを奪われた。
「違うよ、これじゃない。全く、青に眼がないんだから。こっちのやつだよ」
村田が手に取った服は学ランに似た黒の上下だったが立て襟の部分と袖にふんだんに金の刺繍細工が施されている。しかし派手にならず上品に収まっていた。本当に質の良い物というのはこういうのをいうのだ。
村田は同じ格好で刺繍の部分は銀の細工になっている。
「なんか凄い正装じゃねぇ?」
「魔王のお誕生日会だからね。主役はお洒落しなくっちゃ」
「もしかして眞魔国でお誕生日会するの?」
村田は大きく頷いた。
玄関にから出ると、歓声がわきあがり、俺は何事かと目を見開いた。
「あぁ、お帰りなさいませ、陛下。猊下とともになんて麗しいお姿。私、この良き日を迎えられ、どれだけ嬉しいかぁぁ」
「うわっ、折角の服が汚れるからっ」
飛び散る怪しげな汁を慌てて避けた。
「お帰りなさい。陛下」
「ただいま、コンラッド。しかし何事なのこの騒ぎ」
俺は門から一列になって並んでいる兵士を見つめながら話す。
「お前の降誕を国民が祝っているんだ。全く、あっちこっちとフラフラしていて玉座にもまともに座った事もないと言うのに」
ヴォルフラムが俺を睨み付ける。
「返す言葉もございません」
「まっ、こんなへなちょこでも国民の信頼は厚いからな。」
フッと天使の笑みを見せる。
「さぁ、その国民がお待ちかねですよ。こちらへどうぞ陛下、猊下」
「陛下って言うなよ、名付け親」
しかし、いつもお約束のように返される言葉はなく、コンラッドは微笑むだけだった。
俺と村田はこれまたゴージャスに飾られた馬車の中に乗り込んだ。
馬車の中は2人だけでコンラッドやギュンター、ヴォルフラム達は馬車の前後についている。
「何、このパレード。なんか見せ物になった気分なんだけど…」
「あはは、まだまだ序の口だよ〜。ほらほら、笑って笑って」
序の口!?一体この先、何が待っているのか、俺は恐ろしくなった。血盟城にたどり着くまで俺は手を振りニコニコと笑顔を振りまき続けた。
「ねぇ渋谷。君はこの国が好き?」
急に村田が真剣な顔で俺に質問した。
「なんだよ、急に。もちろん好きだよ」
「眞魔国の国民は、皆、君に期待している。君はその期待にこたえられるのかな?」
「期待してるって言われても...まだわかんないことだらけだし、これから俺自身どうして良いのかかわからないけれど、出来る限りのことはしたいと思うよ」
「そっか。今日、この国で誕生日を迎えるということはそれだけの覚悟が出来てないとダメなんだよ」
「魔王になる覚悟?ってことか」
「そう」
「魔王になる覚悟はもうとっくに出来てる。ただ立派な魔王になるかどうかってのはまだ未知数だけどさ。けどへなちょこ魔王をフォローするために、大賢者様や皆がいるんだろ」
「うん、そうだね。誕生日おめでとう、渋谷」
「サンキュー」
ちょうど血盟城の城門に到着し、馬車が止まった。
「陛下、お手をどうぞ」
ギュンターが差し出した手を握り、馬車から降り立った。
「つ、疲れた」
城に入ると入口にグウェンダルが立っていた。反射的に背筋が伸びてしまう。
「あはは、ただいま」
「これから王の間で降誕の儀式だ。その後、謁見の間で来賓に会ってもらう」
「ええっ、休みなし!村田ぁ」
「お仕事、お仕事。覚悟出来てるんだろ」
「言ったけどさぁ.....誕生日会なのに、ほとんど仕事じゃないか」
「何をゴチャゴチャ言ってるんだ。行くぞユーリ」
ヴォルフラムに腕を取られて、城の中へと進んで行った。
ギュンターに、降誕の儀式の手順を教えてもらい、どうにかこうにか儀式を終えた後、謁見の間で、来賓の相手をする。受け答えは隣りについていてくれたギュンターがやってくれたから俺が直接話す事はほぼなかったし、それ以前に知ってる人が殆どいなかった。
俺の周りには次々と誕生日の祝いの品が重ねられていったが、反対に申し訳ない気分になってくる。もしかしてもらった人たちが誕生日迎えたら、あげなきゃいけないだろうか。
やっと開放されたと思ったら今度は広間で食事会が待っていた。
「陛下、どうぞ」
玉座でダレている俺に飲み物と食べ物をコンラッドが運んでくれる。
「ありがとう。腹へってたんだよ」
「今、食べておかないと、食べる暇がなくなりますよ。さっきからダンスの申し込みをしようと女性がスタンバイしてますから」
「無理、ダンスなんて出来ないよ」
「前に俺が教えたとおりにすれば大丈夫ですよ。ほら、陛下」
俺はジッとコンラッドを見つめた。
「どうかしましたか?」
「なんでさっきから、眞魔国に来てからずっと陛下って呼ぶんだよ」
「それは…」
ずっと引っ掛かっていた。こっちに来てからコンラッドは俺の事を『陛下』と呼ぶ。いつもなら俺の『陛下って呼ぶな名付け親』でユーリと呼んでくれるのにまだ一度も名前を呼んでこなかった。
「あーん陛下。なんて美しいの。ますます殿方がほおっておかないわ。ヴォルフラムも陛下を横恋慕されやしないかと気が気ではないわね」
ツェリの登場で二人の間の緊張した空気が溶ける。
「何か飲み物を持って来るよ」
「なら葡萄酒を二つお願い。コンラート」
その場を立ち去る後ろ姿を俺はずっと目で追ってしまう。なんだか急にコンラッドよそよそしくなった気がして、不安になる。
「後で絶対、理由きいてやるからな」
俺は小さく呟いた。
パーティの最中、俺はコンラッドと話をしたかったのだがその都度邪魔が入るのと、コンラッドが少し離れた場所に立っていたから、結局問い質す事は出来なかった。
やっとパーティもお開きになったのだが朝から働きどおしでドッと疲れがでてくる。パーティの時にツェリに勧められ飲んだお酒もまだ抜けてなくて頭がボーッとする。
「何が誕生日だよ。そりゃ確かに皆が祝ってくれるのは有り難いけどさ」
さっきグレタやヴォルフラム、ギュンター、あのグウェンダルにも誕生日プレゼントをもらった。正直貰えるなんて全然頭になかったからすごく嬉しかった。けど…。
俺は廊下をがしがし歩いて、大きな扉の前に立つと深呼吸した。そしてノックする。
カチャと音がしてコンラッドがでてくる。
「どうしたんですかこんな遅くに」
「ちょっと話があるんだ」
「明日じゃダメですか、陛下」
最後の一言で頭に血が上る。俺は隙間から中へ入っていった。
「今じゃないとダメだ」
はぁとコンラッドは溜め息をついて仕方ないというように扉を閉めた。
「まだ、お酒が抜けてないですね。成長の発育を妨げるから、お酒は飲まないんじゃなかったんですか」
「あんたのお袋が折角のお祝いだし、私の勧めたものは飲めないの〜なんて抱き付いてくるから、今日だけ解禁したの」
「仕方ない人だな、あの人も。何か飲みますか?アルコールの入っていないものでも?」
「いらない」
俺は首を横に振って、コンラッドに近付いた。
「なんで名前呼ばないんだよ」
お酒のせいなのか頭がボーッとする。
「何故って…貴方は魔王で、俺は貴方の臣下だ。陛下と呼ぶのは当然でしょう」
その言葉にショックを受けて目を見開く。と同時に怒りが込み上げてきた。
「だってアンタは俺の名付け親だろ。なんでそんな急に他人行儀なんだよ」
「陛下は今日、降誕式をあげられた。前に言いましたよね。この国では16才になれば自分の行き方を決断しないといけないと。貴方はこの国で魔王になりこの国と共に生きると決めた」
「だから…俺が魔王に正式になるって、この国で生きてくって決めたから、もう今までみたいに気軽に出来ないって言うのかよっ」
コンラッドは小さく頷いた。
「ふざけんなっ。誕生日迎えたって、魔王になったって何にも変わらないだろ。渋谷有利は渋谷有利だ!」
悔しくて目が霞んできた。コンラッドが格式とか身分を大事にするなんて信じられなかった。
「泣かないで…」
頬に触れられた手を払いのける。
「泣いてないっ」
けど、頬を涙が伝っていく。
「貴方はこれからもっと沢山の人と出会い成長して行く。俺はいつも貴方を見守って側にいるけど、いつかその役を誰かに譲らないといけなくなるかも知れない」
「それって、俺から離れるって、俺の側からいなくなるってことかよ」
コンラッドは寂しそうに小さく笑った。
「そうだね。あなたが俺を必要としなくった時、俺は耐えられないかも知れない。だから今から子離れしておかないとね」
冗談めかして言われても、笑える心境ではなく、俺はますます大声をだす。
「勝手な事言うなよ。なんだよそれ。俺がコンラッドを邪魔扱いするってのかよ」
俺は悔しくて涙が止まらなくてその場にしゃがみ込んで顔を両腕で隠した。
背中に大きな手の平が触れる感触がする。コンラッドが俺の名前を呼ばないなんて、側からいなくなるなんて考えた事もなかったしこれからだって考えられない。
しゃがんだままの俺の背中に手が回され抱き締められる形になる。
「貴方の一番近い場所に居続けてしまうと俺は貴方を手放せなくなってしまう。それ以上の事を欲してしまう。だから…」
コンラッドの辛そうな声で顔を上げると目の前にコンラッドの顔があった。
「俺はコンラッドが側にいてくれないとヤダ。コンラッドが言ったんだろ、俺の側にいるって。だからずっと側にいろよ」
無意識だった。俺はコンラッドに唇を重ねた。
「ユーリ…」
驚いた瞳が俺をみつめる。そりゃそうだろ。男にキスされたら当然だ。けど言葉で伝えるよりもこうしたほうが早い気がして、行動に出てしまった。
「酔ってるんですか?」
「違うよ。酔ってなんかない。....んっ!?」
腕を引かれ前につんのめる。今度はコンラッドからキスをされる。触れるだけのキスが深くなる。コンラッドの舌が入り込んで来て、俺の舌と絡まりあう。好きな人とのキスがこんなに気持ち良いなんて初めて知った。
唇が離れて見つめ合う。コンラッドがコツンとおでこをつけてきた。 「せっかく覚悟を決めたのに、あなたって人は」
「俺の承諾もなく勝手に決めてんなよ」
俺はコンラッドを睨みつける。コンラッドは立ち上がると俺の脇に手をいれ俺のことも勢い良く立たせた、 「ユーリ、責任とってずっと俺の側にいてくださいね」
「なんか、プロポーズみたい」 抱きしめられて、再度キスを受ける。
「誕生日、おめでとう。ねぇユーリ、何か欲しいものはある?」
「コンラッドが側にいてくれるって言うならその約束だけでいい」
「ユーリ....」 コンラッドに抱きあげられ、ゆっくりとベットに下ろされた。なんだかコンラッドの顔が泣き笑いのように見える。
「あなたが生まれてきてくれただけで、俺はものすごく幸せなのにね。俺のほうがプレゼントをもらった気分だよ。ありがとうユーリ」
そしてぎゅっと抱きしめられた。
俺もコンラッドがいてくれるだけですごく幸せだよ。コンラッドが俺の側にずっといてくれる。それが俺にとっての最高のプレゼント。
日付が変わる。俺は生まれて初めて大好きな人と誕生日を過ごした。来年も、再来年も、ずっとコンラッドと誕生日を過ごすだろう。
「ありがとうユーリ。生まれてきてくれて」
コンラッドが囁いた言葉に俺は微笑みながら眠りに落ちていった。
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